加賀友禅の歴史

加賀独特の「梅染」が起源 加賀友禅の歴史は、15世紀頃既に文献に記録されている加賀独特の技法である「梅染」までさかのぼる ことができます。

梅染は梅の幹皮(かんぴ)などの煎汁(せんじゅう)と媒染(ばいせん)剤による媒染法で、もともとは無地染でしたが、江戸時代に入って 5代藩主前田綱紀公のとき、宝永~正徳年間(1704-1716)頃に、 絵画を染技法で表現する兼房染や色絵・色絵紋の技法が確立され、無地染に模様が施されるようになったといわれます。

この梅染・兼房染・色絵紋を総称してお国染めといい、加賀友禅への大きなステップとなりました。特に色絵紋の繊細な技法が 友禅染の原点とも言われています。

宮崎友禅斎が基礎を確立

京都の寺院、知恩院にある宮崎友禅斎像

これらの技法がほぼ確立した前後、加賀友禅の始祖といわれ、その名前の由来ともなった宮崎友禅斎が登場します。

友禅斎の出生地は金沢とも京都とも言われていますが、定説はありません。30代半ばから京都で染色にたずさわっており、身近な草花を中心に描く革新的な模様染を発表し、友禅染の名で知られるようになりました。

その後、正徳2年(1712)に金沢へ移り住んだと言われ、御用紺屋棟取(ごようこんやとうどり)の太郎田屋とともにお国染の意匠の改善や友禅糊の完成など加賀友禅の基礎を打ち立てました。この後、加賀藩の熱心な文化奨励策のもとで、加賀友禅は飛躍的な進歩を遂げます。

加賀友禅の制作工程

  1. 1、図案

    日頃からスケッチをしていたものや、自然の姿を モチーフとし、それを文様にしてデザインします。 着姿を想像しながら、着た人が一番美しく見える様、 年齢や身長を考えながら描きます。

  2. 2、下絵

    着物の形に仮縫いをした白生地に青花という花の汁で、下書きした図案から模様の輪郭を細い線で書き写して行きます。次の工程のガイドラインの役目で青花は水で濡らすと消えてしまいます。

  3. 3 糊置

    下絵の線に沿って、もち粉やヌカなどを材料にした糊を筒から絞り出しながら線を引きます。糸の様に線を引いていくことから糸目糊といい、彩色時に隣同士の染料が混ざらないため、滲まないための防波堤の役割をします。

  4. 4、彩色

    加賀五彩(藍・えんじ・草・黄土・古代紫)という伝統の色を基調とし、色を混ぜながら豊富な色彩を作り出して、筆で彩色をしていきます。加賀友禅の特徴のぼかしは染料が乾く前に行う為、手早さと集中力が必要です。

  5. 5、下蒸し

    彩色した色を定着させ、発色を良くするために、生地を高温の蒸気で蒸します。

  6. 6、中埋

    加賀友禅は柄の彩色をしてから地色を染めます。その為、柄の部分に地色が混ざらないように、糊で柄全体をかぶせて埋める作業です。

  7. 7、地染

    ハケで着物の地色を染めます。広範囲に均一にムラなく染めないといけません。

  8. 8,本蒸し

    地色を定着させ、発色を良くするために、生地を高温の蒸気で蒸します。下蒸しと合わせて2度の蒸しを行います。

  9. 9、水洗い(友禅流し)

    水温・水質の安定した人工川を使用し、糊や余分な染料を落としていきます。この時落とした糊が白い輪郭となり、加賀友禅の美しさのポイントとなります。 昔は、自然の川で行われていて「友禅流し」と呼ばれ、金沢の風物詩となっていました。

下絵

中埋

地染

以前の友禅流し風景

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